ストーリー紹介
【1582年】
■松風・おふうとの出会い
「悪魔の馬」と呼ばれる巨大な馬に一目で惚れ込んだ慶次は、人間を寄せ付けなかったこの巨馬を口説き続け、ついに乗りこなすようになると「松風」と命名。その後、慶次を狙う耳削ぎ願鬼坊にさらわれた少女おふうに出会い、願鬼坊から解放する。

■末森城の合戦
慶次を疎ましく思い、常に慶次に無理難題を課す伯父の利家。そんな中でも慶次は傾き続けることで、村井若水や、その息子の陽水から崇められる。彼らを引き連れて、盟友奥村助右衛門を助けるために末森城に向かい、見事佐々成政を撃破する。

■女忍び「蛍」と、甲斐の達人「蝙蝠」
慶次を狙い続ける加賀忍軍の頭領、四井主馬が送り出した刺客は、類いまれな美貌で男を惑わす女忍者、螢は慶次の生き様に惚れ込み慶次と生活を共にすることになる。しかし蛍は師である蝙蝠への忠義ゆえに自害してしまう。怒り狂った慶次は蝙蝠との対決に臨み、命を奪うことなく改心させる。

【1587年】
■義父利久の死を受け、加賀を脱藩
義父利久の死で金沢にとどまる理由がなくなり、脱藩を考える慶次。凍えるほどに冷えた冬の日に、藩主である利家を招き、水風呂を見舞うといういたずらをはかる。これは脱藩の罪が前田家にかかるのを避けるための配慮であった。かくして金沢を飛び出した慶次。新たなる伝説が始まる瞬間である。

■千利休の茶室、家康との出会い
金沢を出た慶次は、敦賀にて加賀忍びである捨丸と出会い、子分として従えることとなる。その後京都に上った慶次は、千利休に茶席に招かれ、そこに同席したのがかの徳川家康。慶次はそこでも粋な男振りを発揮し、家康の心を掴んでしまうのだった。

■キリシタン侘助と、摩利支天のご加護
幼年期に千利休に命を助けられたキリシタン侘助は、秀吉の首を狙った忍びを狙うも失敗。利休への忠義が故に慶次に自分を切るように懇願する。これをきっかけに騒動が巻き起こるも家康の計らいにて収束。慶次はその後の騒乱を避けるために、巫女として神格視されていた摩利支天に仕えたおばばを呼び、侘助を摩利支天に模すことでかくまった。

【1588年】
■天下人秀吉との対峙
かねてより慶次に会いたがっていた秀吉は、慶次に謁見の場につくように要求しつづけた。慶次は秀吉を殺すつもりで聚楽第へと赴き、髷を横に結うことで平伏を拒否するという傾き振りを発揮。この見事な根性に気をよくした秀吉は、慶次に対してどんな状況においても自由に振る舞うことを許す「傾奇御免の御意」を言い渡した。

■莫逆の友、直江兼続との出会い
夏祭りに訪れた慶次は、優雅な舞いで人々を魅了する直江兼続と出会う。その後、偶然にも側小姓の果たし合いにおける介添人として戦の地に降り立った2人は、義を尽くさぬ武士たちに対して激昂し、朱槍を振り回した。それ以降、互いに認め合う仲となった。

■風魔小太郎との戦い
秀吉の側室、茶々君はお気に入りの舞い手の死を機に、能の舞い手を公募した。そこで慶次は「鷺」の能を舞い、見る者の度肝を抜き、茶々君は亡き織田信長の姿を重ねた。しかし豊臣の重臣が見守る能舞台で、刺客、風馬の小太郎より命を狙われるも見事に退けることとなった。

【1589年】
■戦乱の地、佐渡へ
四百年もの間、本間一族に支配されていた地、佐渡。しかしその内情は一族間での内乱が絶えない状態だった。業を煮やした上杉景勝は、争乱を終わらすべく船を率いて佐渡に向う。景勝に同行した兼続を追い、慶次も佐渡へと上陸することとなった。

■美々なる百姓兵軍
佐渡についた慶次は、囚人置き場に足を運び、河原田城への出陣を提案。囚われの身の者や年老いた百姓を集めた即席の軍を率い、上杉の本陣へと進んだ。命をかけて戦場へと向かう彼らの心意気に景勝は感動し、慶次たちを送り出した。

■黎明の河原田城出撃
八千の兵で固められた河原田城に対して、百姓などを集めた百二十の軍で出陣。慶次を筆頭に、心優しき大男、蛮頭大虎や慶次より朱槍を与えられた坂田雪之丞の活躍により河原田城は陥落。上杉家は無事に佐渡を平定する次第となった。